« April 2013 | Main | June 2013 »

母の日に、カルミヤ

母の日に、カルミヤ
アポロンのチョコみたいで面白いでしょ
つぼみ、分かりますか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

映画 「ひまわり」

ひまわりの映画観ました。
沖縄のこと、
本土では、他人事のようにとらえられている感じ。
1959年6月の墜落事故
2004年の沖縄国際大学のヘリ墜落事故
酔っ払いの海兵隊に殴られて、追いかけるけれど、基地に逃げてしまって、警察は及び腰、
「米軍基地って、水道光熱費も家賃もぜんぶ、日本政府もちなんだよね」
それで治外法権で、

アメリカ軍にいてもらっている?
なんのためでしょう?

今朝の東京新聞に、現政権が
集団的自衛権の行使とかで、アメリカがミサイル攻撃をうけたら日本も攻撃をする?
みたいなことが書かれていたけど、
アメリカにミサイル攻撃をする国って、どこのことでしょう?
どの国から攻撃されても、ってことでしょうか?

今朝の東京新聞に、高市早苗政調会長がNHKの番組で過去の戦争に関して
「国策の誤り」とした村山富市首相談話について、
「当時、資源封鎖され、抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」と指摘した。
同時に「植民地支配をうけた国の民族の誇りを傷つけ、大変な苦難、被害を与えたのは確かだ」とも述べた。

と書かれている。

つまり、戦争を始めたことをやむをえないことだった?と言いたい?誤りではなかった、と言いたいのだろうか?

過去の戦争から得たものが
日本国憲法で、
いかなる場合でも武力で解決をしないことこそが、世界から称賛される平和国家の建設なのだ。
後戻りはいけない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

イスラム教に親しむ

1

2

代々木のモスクに行きました。
伝統的なオスマントルコ様式の礼拝堂ということで、大理石がふんだんに使われている。
600人が一度に礼拝できる。
とても敬虔な気持ちになりました。
イスラム教では合掌ではなくて、両ひざの上で、手のひらを上にむけるのですね。

シディーク(新宿西口、水天宮、半蔵門、歌舞伎町、曙橋、神田須田町、渋谷道玄坂、秋葉、神保町、日本橋浜町、新宿百人町、四谷麹町、麻布十番、東大島、アジアンダイニング西日暮里、アジアンダイニング靖国神社前、アジアン居酒屋九段、シディークビレッジ日暮里、ドンコーイ日本橋三越前店、ドンコーイ茅場町新川店、ドンコーイ秋葉原店)
ラジマハール(渋谷宇田川町、銀座本店8丁目、新丸ビル5階、銀座マロニエゲート11階)
アラジン(西麻布3-2-6六本木安田ビル2F イランアラブ料理)
ブカラ(麻布台3丁目4−14インド料理)
アセナ(トルコ料理 港区赤坂2-8-13 )
サムラート(インド料理 新宿、南青山、渋谷宇田川町、恵比寿、東中野、高輪、)
パトワールPOTOHAR(インド料理新宿、東北沢、吉祥寺、パキスタン料理新宿)
月の沙漠(ヨルダン料理JR池袋駅西口より徒歩1分 )
トルコ・中近東・アラブ料理
トルコ料理レストラン イスタンブール 銀座店 (銀座7-2先銀座コリドー街1F)

| | Comments (18) | TrackBack (0)

愛と憎しみの豚

中村安希の世界にはまってしまった。

愛と憎しみの豚
このエンディングにはあっけにとられた。
豚を追いかけて世界を旅する彼女にあこがれてしまう。
豚をはうる?ようす、その臨場感を、すごい、と思いました。

インパラの朝
アフリカの旅をいきいきと間接体験させてもらいました。
せつない、ね

| | Comments (1) | TrackBack (0)

白バラ会の持ち寄りパーディーです

Cooking_by_white_roses

8人の持ち寄りパーティ
料理自慢の主婦8人で、
どこのレストランよりも素敵な料理が並びました

| | Comments (1) | TrackBack (0)

満蒙開拓平和祈念館

Photo

2

長野県下伊那郡阿智村に、4月25日に、満蒙開拓平和祈念館が開館した。
地元の杉を使った切り妻造りの平屋建ての建物は132坪、駐車場を含む敷地440坪。8年以上かけてやっと実現したということだ。
中国東北地方に13年間存在した幻の国「満州」に、27万人の開拓団が日本から移民した。内訳は長野県から33000人、そのうち飯田下伊那から8400人だった。戦後引き揚げることができたのはその半数以下、1972年日中国交回復から中国残留日本孤児の帰国が始まり、最近までその帰国が続いていた。

満蒙開拓団に特化した記念館が今までできなかった理由は以下が考えられる。
①国外のことで資料が集めにくい、
②生還した人たちは、日本で、自分たちの住まいを開拓しなければならず経済的な余裕がなかった。
③満蒙開拓は不況下の貧困対策であり、国策で、県、市町村、教育界も積極的に協力した。
④軍には民間人を残してきた後ろめたさがあり、開拓者にとっても、胸を張って開拓したという経験でもなく、逃避行等を含めた悲惨な体験を語りたくない、振り返りたくない不都合な事実である。
⑤中国在留日本人孤児の帰国定着に長い年月がかかった。

昨年他界した私の父も、漠然と、満州に行くつもりだった、と言っていたのを想い出しました。

当時ものすごく不況で、貧しくてという状況で、満州に行けば20町歩の農地の地主になれると、原野を開拓するつもりで行ったのに、実際には中国人の極貧農家から農地やら住まいやらを搾取して入植することもあったという。零下30度にもなるような寒冷地で、五族共和どころではなくて、日本人、韓国人、中国人を使役する階級社会であった、というように、自慢できるような開拓ではなかった。
終戦間近には満州からも、壮青年男性はすべて徴兵されて、沖縄戦やら南方戦線に送られていて、軍関係者は鉄橋やら鉄道やらまで爆破させて先に逃げ出していて、老人女子供ばかりが残されているところに、ロシアから中国から襲撃があり、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦前教育もあり、逃避行のなかで、殺したり、置き去りにしたり、中国人に預けられたりという生々しい証言やら、資料やら、
圧倒されました。

兵隊ではない人たちだから、靖国神社には縁もゆかりもない人たちの戦争の証言として
重要な意味があると感じました。

『かつて、あるアジア青年たちとの交流をした際に言われた言葉、
「私は日本人は信用できない。それはかつて父祖の時代に侵略されたからではなくて、今の日本人がそういった歴史の事実を知ろうとしないからだ」と言われたことがある。』(「信濃」第65号 第3号 信濃史学会 p25 「語り継ぐ「満蒙開拓」の史実 -「満蒙開拓平和祈念館の建設実現まで」寺沢秀文著 より)

| | Comments (8) | TrackBack (0)

« April 2013 | Main | June 2013 »