愛と憎しみの豚
中村安希の世界にはまってしまった。
愛と憎しみの豚
このエンディングにはあっけにとられた。
豚を追いかけて世界を旅する彼女にあこがれてしまう。
豚をはうる?ようす、その臨場感を、すごい、と思いました。
インパラの朝
アフリカの旅をいきいきと間接体験させてもらいました。
せつない、ね
中村安希の世界にはまってしまった。
愛と憎しみの豚
このエンディングにはあっけにとられた。
豚を追いかけて世界を旅する彼女にあこがれてしまう。
豚をはうる?ようす、その臨場感を、すごい、と思いました。
インパラの朝
アフリカの旅をいきいきと間接体験させてもらいました。
せつない、ね
茨木のり子の
私が一番きれいだったとき、
という詩の朗読を聴いたことがあって、
いつか読みたいと思っていて、図書館で3冊借りた。
小さな娘が思ったこと
~中略~
小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々
ひとを愛してゆくための
ただの疲労であったと
山根基世さんの解説には
彼女の詩は、信念を持つ自分を誇るのではなく、羞じるところが茨木のり子らしさだと書いている。
私が思うに、
茨木のり子は、夢を語らない。希望も絶望もどちらも同じくらい、実態がない、信じない。
だから、よけいに、胸をうつのかな
1918年生まれの画家の堀文子さんの本「ひとりで生きる」にあったけれど、
慣れない 群れない 頼らない
これが私のモットーだ
と書かれていた。潔い、痛快な文言が散りばめられている。
50歳で山の中に転居し、
64歳で軽井沢に、
70歳でイタリアに移住
77歳でアマゾン川、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチ旅行
現在94歳。
すごいな
2008年に92歳でなくなったターシャ・テューダー
彼女は1916年生まれ、かな
彼女も絵を描く、というより、絵本を描く
4人の子どもを育てるのも、自給自足というのはすごい、糸を紡いで洋服をつくる?
ターシャ・テューダー最後のことば
ラスト・インタビュー「人生の冬が来たら」最期のときを見つめて
ターシャ・テューダーの言葉 最終章
ターシャを訪ねて魔法の世界、コーギコテージの特別な一日
ターシャの庭づくり Tasha's Successful Garden
など、いくつかの本を図書館で借りて読みました。
忘れな草 forget-me-not
撫子 pink
ヒヤシンス hyacinth
ルピナス lupine
羊歯 fern
カエデ maple
水仙 narcissus, daffodil
睡蓮 water lily
菖蒲 iris calamus
蘭 orchid
牡丹 シャクヤク peony
朝顔 morning glory
コデマリ bridal wreath
たんぽぽ dandelion
白樺 white birch
モクレン magnolia
椿 camellia
月桂樹 bay laurel
キンセンカ calendula
ラベンダー lavender
紫陽花 hydrangea
ムラサキツユクサwandering jews
サフラン saffron
ポピー poppy 芥子 opium poppies
ルドベキア black eyed suzan
ライラック lilac
ムラサキセンダイハギ false indigo
萩 bush clover
パンジー pansy
スミレ viola
アライグマ raccoon
ヤマアラシ porcupine
キツツキ woodpecker
シマリス chipmunk
コガネムシ gold beetle
6月7日整形外科の待合室で「庭づくり」の写真集を読みながら花の名前を確認
待合室、混んでた
肥田舜太郎/鎌仲ひとみの、
「内部被曝の脅威 -原爆から劣化ウラン弾まで」
ちくま書房、2005年6月10日発行を読んだ。
原爆の犠牲者は、広島長崎だけだと思っていた。
その原爆を製造する過程で、すでに、アメリカに内部被曝者がいたのだ。
ウランの採掘をする人たちも内部被曝者だ。
そして、湾岸戦争から使われるようになった劣化ウラン弾、
しかも、この爆弾は、市中にも使われた。
劣化ウラン弾による被爆者は、イラク戦争でも、おおぜいいる。
アメリカは、世界で一番原子爆弾を保有している
つまり、その生産にかかわる人々、
そして、原発周辺やらでも、内部被曝者がおおぜいいるというのだ。
被曝しているジャガイモもたくさん輸出されているというのだ。
しかし、内部被曝は、財界にとって、不都合な真実であるため、政府としても認めていないし、
内部被曝を認めたくない住民もたくさんいるというのだ。
「劣化ウラン弾を保有する国は、アメリカ、イギリス、ロシア、トルコ、フランス、サウジアラビア、タイ、イスラエルがアメリカの技術を用いて劣化ウラン弾を自国の軍隊システムに開発導入し、世界の武器マーケットで販売している」という。
「その劣化ウランを含有する対戦車砲、M-833を保持する国のリストはNATOに所属する国々、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイスランド、イタリア、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、スペイン、オーストリア、エジプト、韓国、台湾まで及んでいる。そしてすでに日本がそのリストに入っている。」というのだ。
ガンの発症、先天的障害児の出産、腎臓や肝臓の機能不全、神経系統の疾患などが多い
というのは、放射性毒性だけでなく、重金属毒性とのダブルの危険がある、ということかもしれない。
劣化ウラン弾という名前の原爆が使われるようになっていた。というのはショッキングな話だ。
この本は2005年発行だから、とうぜん、今回のフクシマの件には触れていない。
昨年の震災で、福島から100マイル圏内のアメリカ国民は、帰国した。
「日本奥地紀行」イザベラ・バード(Isabella L. Bird)著 高梨健吉訳 平凡社 を読み終わりました。
1878年、明治10年に、横浜から、浅草、日光、会津、新潟、秋田、青森、函館、 室蘭、白老、平取までの旅行記だ。
イザベラ・バードは47歳。
その当時の浅草のようす、日光のようす、金谷ホテルが開業するかしないかのころのようす。
それが面白いばかりではない。
馬を雇って進むのだが、その馬の様子が、ヨーロッパの馬の様子とちがう。
馬をいじめるようすがとてもなじめない感じだ。
ペットのしつけの仕方などは、日本ではまだ歴史が新しい、と思う。
そして、観光地ではない村とかでの、住宅の様子、ほとんど裸に近い人々、あまり風呂をつかわなくて不潔で、皮膚病が非常に多い。
外国人がめずらしくて、障子に穴をあけて覗きこむ。
川を渡るようすなども、手に汗握る道中だ。
北海道ではアイヌ村にしばらく滞在するようす。アイヌの家族の風景、明らかに日本人と人種が違う感じが見て取れる。
イザベラバードの通訳権案内役を務めた 伊藤亀吉 を題材にした「イトウの恋」中島京子著を読んだ。
イトウがまだ20歳ころの青年で、イザベラバードに良く尽くしたと思う。
中島京子さんの小説に共感だ。そうだったかもしれない、と想像される。2012年7月7日追記
大竹しのぶの「ピアフ」観ました。
エディットピアフ、恋多き人生で、薬物中毒の廃人になってもなお新しい若き恋人(テオ)と結婚
スタンダードのシャンソンたくさんで、口ずさみたくなる感じ。
マリーネディートリッヒ役の彩輝なおは、さすがに宝塚出身で、歌がうまかった、
大竹しのぶが、どんなふうにシャンソンを歌うのかと思ったけれど、
期待以上ではなかった、かな。期待通りって感じかな
注射を打つシーン、迫力ありました。
劇場から出る時、加藤登紀子さんみかけました。お友だちなんですね、きっと。
11月12日追記
わが愛の讃歌-エディット・ピアフ自伝 中井多津夫訳 晶文社 1980/10/25 読みました。
この舞台でわかりにくかった部分がとても気になったので、図書館で借りて読みました。
47歳で27歳のテオと結婚してまもなく1963年に亡くなったのですね、
とても自分に正直な、まっすぐな人で、
ということがわかって、
読んでよかった。
この本は、1979年出版の本だった。
幕末の日本人が、英語を誰に習ったか、
日本の最初の英語教師となったのは、
アメリカ人(イギリス人とインディアンを親とする)ラナルドマクドナルド氏であるということは、世間に認知されていた事実だったということだ。
訳訂にあたった富田虎男氏は、文化座の「幕奔の臣」という芝居の中で「長崎の座敷牢にいるアメリカンのインディアン、ラナルドマクドナルドがいうには、アメリカでは人民が一番偉いとのことだ・・・・」というせりふを耳にして初めて氏について調べ始めたと言うことだ。
氏は、1824年2月3日生まれ、1847年10月に利尻島に漂着して、長崎に10ヶ月間滞在し、オランダ語通司らの英語教師となった。1848年4月30日マクドナルド氏は、長崎を出発したあと、冒険の旅を続け、アジアからヨーロッパそして1853年アメリカに帰り着いた。が、1885年になって初めて旧友のマクロウド氏と連絡を取り、初めてマクドナルドの日本滞在記をまとめることに情熱を注ぎ、1894年8月5日にワシントン州フェリー郡トロダ近くで亡くなった。ということだ。
いい人だから報われるとか、
いいことをしていれば報われると言うことは、ない、
悪いことをしてのさばっていることもある。
だから宗教があり文学があり、哲学があるのだ、と先日テレビで瀬戸内寂聴氏が言っていた。
そのとおりだ。と思う。
マクドナルド氏に光を当ててくれてどうもありがとう、って感じかな
そこに光を当てるのも、あてないのも、同じ人間だ、
氏にとって、日本滞在は、人生で一番光り輝く時期だった、ということだったとわかってなんとなく安心した。
このごろは連休がばかに多い。
先月も3連休が2回あった。
そしてまた3連休。
しんゆり映画祭2011に行ってきた。
「HESOMORI」は永島敏行さんのトークショー、
そして、被災地の産品販売も。
「アブラクサスの祭」 はスネオヘアーのトークショーつき。
スネオヘアーは映画の中では坊主頭だったけれど、坊主頭が良く似合ってました。
11月20日追記
映画が表現したかったことをもう少し理解したいと思ったので「アブラクサスの祭り」玄侑宗久著新潮社を読んだ。
印象に残ったところの抜粋
「天道のさらに上に有頂天っていうのがあるんだけどね、もちろん永くは続かないんだ。そして地獄の下にも金輪際っていう底みたいなのがある。そこからまた引き返してくるんだ。
死は不幸ではない。死が不幸と表現されるのならばすべての人生は不幸で終わる。死別は悲しいけれど不幸ではない。誕生は入学、死は卒業。
一超直入如来地:勝つためにがんばる力は生きる力。悲しさ、口惜しさも生きる力なのだ。」
青春音楽小説というジャンルに分類されるのだとか。
モーツァルト、メンデルスゾーン、シューベルト、…
チャルダッシュ、ピチカート、アニマート、…
楽曲の演奏のしかた、ほかの楽器と合わせる大変さ、良い音を出すということ、
いろいろ参考になりました。
三冊のセットでかなり長いけれど、話しの展開の意外性があり、飽きることなく、
最後まで青春小説で金壷先生に対しては、ホントに申し訳なかった、かな。
南絵里子には、
ホントにそれで良かったの?
妊娠したことによって高校卒業もしない、
何もかもご破算にしてしまって
あまりに哀しい
逆さ富士の見えるスポットで、ちゃんと逆さ富士が見えました。
今回は天候に恵まれて利尻富士はあちこちから見ることができました。
礼文島には樹木が見られなかったのに、
利尻島にはたくさん樹木がありました。
赤松、黒松、とど松、??
紫陽花も咲いていました。
イタドリがたくさんありました。
あと、黄色いきれいな花だけれど、外来種で、あまり歓迎されていないオオハン???ソウとか言うのがたくさん咲いていました。
そうそう、巨大な水芭蕉の葉っぱがありました。こちらの水芭蕉は巨大な花だということです。
ここからホテル(アイランドイン利尻)に向かう途中、ラナルド・マクドナルドの碑を通りました。
ラナルド・マクドナルドはアメリカインディアンとの混血で、
自分の祖先は日本人であると信じて、日本への憧れを抱き、
ペリー提督の黒船が横浜に現れる6年前に、捕鯨船の乗組員として日本近海を訪れ、
希望して日本に漂着したところがこの利尻島だったという。
当時利尻島は日本領地で、日本は鎖国中だったので、長崎の出島で囚われの身となったということだ。
ところが、囚われの身となった時点でとても自分のことを不幸と感じるのがふつうだったのだけれど、
ラナルドマクドナルドは、希望して日本に漂着したと言うこともあり、囚われの身であっても、とても楽しげで
見張りの人たちとの交流を楽しんだらしい。
また彼は、日本語の習得にも熱心で、メモをたくさんとったということで、
このメモは、のちにつくられる日英辞書の基礎になったと言うことだ。
レナルドマクドナルドの、日本語を学ぶためのメモがわかり、
オランダ通司として活躍していた森山他の通訳は、ラナルドマクドナルドから英語を学び、
のちにペリー来航の時の通訳として活躍したと言うことだ。
だが、幕府の通司として活躍した森山は、新政府からの仕事を引き受けることなく、
50代でその生涯を閉じた、ということだ。
ガイドさんから教えていただいた
「海の祭礼」吉村昭著 文春文庫を読みました。
ペリー来航当時、日本近海の捕鯨がどんなに盛んだったか、
その鯨油はペリー来航以降は、石油に取って代わられたため、捕鯨はしなくなったのだという、
クジラを捕獲し尽したから、ということもあるらしい。
ラナルドマクドナルドの出生をたどり、
利尻島から長崎への道筋をたどり、
ラナルドマクドナルドの「日本回想記」も発行されているのだとか。
ラナルドマクドナルドを、他の捕鯨船漂流者と一緒に帰国させてしまったのは本当に残念だ。
彼の出身のオハイオ州でも、この本の出版で、彼の功績が語られ、碑が立ったのだとか。
鎖国している日本と、世界の関係など、とても目からウロコの本でした。9/29追記
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