ピアノの演奏

プロのピアニストはすごい。
すべてを暗譜して最後まで弾くのだからすごい。
ピアノだの、フォルテシモだの、当然に頭に入っていて、

譜面どおりに演奏するのではなくて、
一音一音に意味をこめ、曲が話をするごとく、
打ちひしがれた状態から、希望を持つような展開を、演奏によって表現するのだという。

譜面どおりに弾くのは、練習をする弾き方であって
自分のためだけに弾くようなものだ、という。

仮にも観客が何かを感じてもらえるような弾き方、というのは、
譜面通り以上に弾くことなのだという、

もちろんえら~い作曲家が作曲したから曲があるのだけれど、
作曲家自身が意図した以上の弾き方もあるのかもしれない。

辻井伸行さんのピアノも今度じっくり聴いてみたいと思う。
彼が表現してくれる曲の世界を味わってみようと思う。


間違えることはないのかしらねぇ。

間違えることはないのですか?などと、たずねてはいけない質問かもしれないですね。
たとえ間違えても、観客に間違えたようには悟られないような、
そんな間違え方をするのだとか。
プロですから。

ピアニストのプロもすごいけど、
演劇人のみなさんもすごい。
2、3時間もの劇の台詞をそらんじるのだからすごい。

プロだからねぇ。

昭和4年生まれの奈良岡朋子さん、毎年毎年新しい劇をマスターするのだから、やっぱりすごい、

ピアノ1曲の演奏も
歌一曲の歌詞を覚えるのも、本当に大変なことです。

この秋、ロシア人ピアニストのパーヴェルネルセシアン氏の上野の文化会館のコンサートに行ってこようと思う。

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公園墓地に行ってきました

昭和31年生まれの友人の訃報に驚いた。
何でも胃がんの再発ということらしい。
今年は、近所でもPTAでご一緒した方が、彼女もがんで亡くなられている。

私より若い方の訃報が続いたことで、私にだっていつ来るかわからない。
いのちあるもの、その終わりは必ず訪れる。

私が死んだらどこの墓に入ることになるのだろう?
ずうっと先延ばしにしてきたことが妙に気になりだした。

お墓なんかなくてもいい、と漠然と思っていた。

でも、自分が先に逝く、とは限らない。
家族が先に逝く可能性もある。

実家の墓でもよい、と思ってもみるけど、
嫁に出た娘が戻るわけにもいかないだろう。

夫の実家の墓というのも現実的ではない。
夫の実家を訪れることはあっても、暮らしたことないし、死んでから親と同居では申し訳ない。

お骨が手元に残るということは、負担になることに違いない。

ゲゲゲの女房の水木しげるさんは、お墓を散歩することが好きだと言っていたし
なんだかんだで、思いついて近くの公園墓地に出かけてみた。

初めて訪れた公園墓地の風景は、私の想像とは少し違っていた。
公園墓地ということで、宗教を問わないということだ。

約4割の墓地は、生前に購入されているということだ。
自宅近くの寺の墓地とは少し雰囲気が違う。

生きているうちに自分の墓を購入して石碑を建てる。
そして、その石碑には、「愛」「仁」「ありがとう」、あるいは、ギターの絵が書かれていたり、
とてもきれいな新しい石碑が並んでいた。
石碑を建立した本人の名前と、建立した年月は小さく側面に書かれている。

いいなあ、私も墓地を買ってみようか。

永代供養塔があって、小さな墓石が並んでいた。赤い文字もある。
聞けば、赤い文字は、ご存命の方の名前だそうだ。
私にはこのくらい小さな墓石で十分な気もする。
だが、永代供養塔は、お子さんのいない方が対象だということだ。
子どものいる私はだめだということだ。

いずれ、自分の子どもたちが子どもに恵まれなかったりして子孫が絶えるときには、いずれ個々の墓地も永代供養塔に埋葬されなおすことになるらしい。
どっちみち私の死後100年後に私のことを知る人が私の墓に訪れるなどということはないのだし。

墓地を購入して墓石を建てるのにかかる費用もばかにならない。
誰でも購入できるというものでもないなあ。
買えるうちに買っておこう。

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閻魔さまと脱衣婆(だつえば)さま

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新宿御苑近くの太宗寺に祀られていた閻魔さまと脱衣婆さま、

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