大船観音を訪れました

大船観音を訪れました
鎌倉の大仏は高さ11.9mだけれど、
大船の観音様の胸像は高さ 25m
とても大きい

| | Comments (5) | TrackBack (0)

日本トレッキングクラブと三和観光農園

Photo

南アルプスと飯田の町を見下ろして、乗馬するのを眺めて、1050円のビュッフェランチ、
隣に広がるのは三和観光農園、私はここで、朝摘みのアスパラを買いました。

飯田にもこんなところがあったのね、って感じです。
標高が高いから少々気温が低い感じです。

2_2


| | Comments (21) | TrackBack (0)

飯田の水引

1
これ、水引でできているんです。飯田市中村には、水引美術館が並んでいて、
各お店に信じられないような大作が展示されています。

2
これも、

4_3

3


| | Comments (3) | TrackBack (0)

満蒙開拓平和祈念館

Photo

2

長野県下伊那郡阿智村に、4月25日に、満蒙開拓平和祈念館が開館した。
地元の杉を使った切り妻造りの平屋建ての建物は132坪、駐車場を含む敷地440坪。8年以上かけてやっと実現したということだ。
中国東北地方に13年間存在した幻の国「満州」に、27万人の開拓団が日本から移民した。内訳は長野県から33000人、そのうち飯田下伊那から8400人だった。戦後引き揚げることができたのはその半数以下、1972年日中国交回復から中国残留日本孤児の帰国が始まり、最近までその帰国が続いていた。

満蒙開拓団に特化した記念館が今までできなかった理由は以下が考えられる。
①国外のことで資料が集めにくい、
②生還した人たちは、日本で、自分たちの住まいを開拓しなければならず経済的な余裕がなかった。
③満蒙開拓は不況下の貧困対策であり、国策で、県、市町村、教育界も積極的に協力した。
④軍には民間人を残してきた後ろめたさがあり、開拓者にとっても、胸を張って開拓したという経験でもなく、逃避行等を含めた悲惨な体験を語りたくない、振り返りたくない不都合な事実である。
⑤中国在留日本人孤児の帰国定着に長い年月がかかった。

昨年他界した私の父も、漠然と、満州に行くつもりだった、と言っていたのを想い出しました。

当時ものすごく不況で、貧しくてという状況で、満州に行けば20町歩の農地の地主になれると、原野を開拓するつもりで行ったのに、実際には中国人の極貧農家から農地やら住まいやらを搾取して入植することもあったという。零下30度にもなるような寒冷地で、五族共和どころではなくて、日本人、韓国人、中国人を使役する階級社会であった、というように、自慢できるような開拓ではなかった。
終戦間近には満州からも、壮青年男性はすべて徴兵されて、沖縄戦やら南方戦線に送られていて、軍関係者は鉄橋やら鉄道やらまで爆破させて先に逃げ出していて、老人女子供ばかりが残されているところに、ロシアから中国から襲撃があり、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦前教育もあり、逃避行のなかで、殺したり、置き去りにしたり、中国人に預けられたりという生々しい証言やら、資料やら、
圧倒されました。

兵隊ではない人たちだから、靖国神社には縁もゆかりもない人たちの戦争の証言として
重要な意味があると感じました。

『かつて、あるアジア青年たちとの交流をした際に言われた言葉、
「私は日本人は信用できない。それはかつて父祖の時代に侵略されたからではなくて、今の日本人がそういった歴史の事実を知ろうとしないからだ」と言われたことがある。』(「信濃」第65号 第3号 信濃史学会 p25 「語り継ぐ「満蒙開拓」の史実 -「満蒙開拓平和祈念館の建設実現まで」寺沢秀文著 より)

| | Comments (8) | TrackBack (0)

小石川植物園

Photo

銀杏とかソテツの精子が発見された?記念の樹!とか
大きなサルスベリの樹!とか
観たことのない樹木をたのしみました

Photo_2

これは、不忍池のほとりです


| | Comments (9) | TrackBack (0)

茅葺屋根の葺き替え作業 Japan Open-Air Folk House Museum

日本民家園で、屋根の葺き替え工事を観ることができます。
足場を作って、下から葺いていくのですね。
手間暇かけて住まいを維持する伝統を目の当たりにしました。

1

2

4

Photo

梅園の梅は3分咲きくらいでした。
Photo_2


| | Comments (0) | TrackBack (0)

郡山市を訪れました

大宮から郡山まで、1時間弱で着きました。意外と近かったです。

Photo_3

通りかかった商工会議所に「加工食品セシウム検査会場」!という貼り紙

Photo

馬頭観世音高岳山如宝寺!
郡山では一番古いお寺です、と、観光案内所で教えていただいたので立ち寄ってみました。
良弁僧正、弘法大師が訪れたところみたいな、(日本寺にも、訪れていたみたいだった、確か)
学徒動員で亡くなった方の慰霊碑があったり、
お地蔵さんがいたり、
門には、立派な赤い仁王と、その反対側には風神と雷神、そして、信者さんからの千羽鶴がたくさんかかっていました。
鐘やら、石仏が展示されている小さなお堂に立ち止まると、展示品の説明の録音の再生が自動的に始まり、ちょっと驚きました。

Photo_2

郡山市公会堂です。1924年の建築ということです。
歴史的建造物ですね。中もとても立派でした。

1

2

麓山公園という、趣のある公園です。
除染しました、という看板がありました。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

乾坤山日本寺

Photo_2

日本寺?そんな名前の寺があることにちょっと驚きました。なんで日本?日本て何?
facebook友だちが訪れたところだったのだけれど、

ということで、行ってきました。
通称鋸山日本寺
聖武天皇の勅語と光明天皇のお言葉を受けて高僧行基菩薩!によって開かれた関東最古の勅願所!ということです。

良弁僧正、慈覚大師、弘法大師も訪れたのだとか
源頼朝の手植えによる800歳というソテツがあったりします。

山全体を上ったり下りたり、とてもいい運動です。2時間で歩けます。

昭和14年の観光客による失火で勅額もなくなってしまって、復興途中ということです。

日本で1番大きい大仏 石で、風化が激しかったということで、昭和44年に4年かけた復元工事の作品?
鋸山日本寺
薬師瑠璃光如来
総高31.05m御丈21.3m

鎌倉高徳院と比べてもとても大きい
阿弥陀如来
総高13.350m御丈11.312m


東海1500羅漢とあったからどんなに壮観だろうかと思ったのだけれど、
あちこちに散らばっているのでした。
古いのは、頭が落ちてしまっていたりします。大きいのやら小さいのやら、たくさんいました。

Photo
百尺観音ですって、これは昭和41年に6年かけて完成したものであるらしいです。
世界戦争穿刺病没殉難者供養のため、
近年激増する東京湾周辺の航海、陸上交通犠牲者供養のため、ということです。


地獄のぞきですって、
ちょっと迫力です。

| | Comments (12) | TrackBack (0)

平和公園に

小学校の同級生の千春さんと、小学校の恩師を訪ねました。
大正15年生まれの先生の住まいにお邪魔しましたが、
ご夫婦での作品が細やかに陳列されていて、
妻に先立たれて3年経ち、
台所仕事もとても板についていて、
とても感動しました。
私にとっては、年のとりかたの手本のような感じです。
こんな風に年をとりたいかな。
自分の身辺整理をしようと思いました。
先生の住まいの近くの御殿場の平和公園でのツーショットです。5


| | Comments (19) | TrackBack (0)

小坂鉱山事務所と康楽館


(明治38年1906年建築の)小坂鉱山事務所です。
洋風を取り入れた日本建築、と思います。
ベトナムの、フランス影響下の王宮のような建物?のような、
バルコニーからの眺めも、王宮のミニチュア版のようでした。


日本最古の芝居小屋 (明治43年1911年建築の)康楽館です。


これが内部。
これはまだまだ現役で活躍している芝居小屋です。
楽屋には歴代の活躍された俳優さんたちの落書きもあったりして、
回り舞台を廻す体験とか、とても風情がありました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧